セツナの時
油臭い。
全身から、油の臭いがする。
最早役割を果たさなくなった布の軍手を動かしながら、ふと、つんと漂った臭いが気になり顔をしかめた。
「刹那」
私は隣でタブレットとにらめっこしている刹那に声をかけた。
「ごめん、そこのボルト取って。そのでかいやつ」
返事はなかったけど、しばらくして求めていたボルトが飛できたので、私はそれを受け取った。
「ありがと」
感謝の意を述べたあと、私は貰ったボルトをフレームと装甲の間にはめた。レンチでぎちぎちと鈍い音が出るまで、しっかりとね。途中で外れたりなんてしたらえらいことになるから。
ちゃんとくっついたかどうか確認て、私はふうとため息をついた。
一人で整備をするのは案外体力を使う。
「ごめんね巻き込んじゃって。刹那のダブルオーは壊れてないのに」
宇宙での戦闘中、私と刹那は自軍とはぐれてしまい元いた世界とは違う火星にたどり着いた。
帰り道はわかるから補給をしたあとさっさと帰ろうと思ってたけど、運の悪いことに私のMSが故障してしまって。MSを隠せてちょこちょこ整備できる場所を探したら、一番近くにCGSっていう警備会社にたどり着いたってわけ。
この世界の火星はまだまだ発展途上っぽく人手が足りないのか、わりとすんなり溶け込むことができた。労働環境は最悪だけど。
刹那風に言えば、正に『この世界に神なんていない』って感じ。
「構わない。お前も貴重な戦力だ、戦力を整えるに越したことはないからな」
刹那は顔を上げて私を見た。
刹那はなんだかんだ言って優しい。ここの生活は決して楽なものじゃないのに、私に文句ひとつ言わないで、こうやって修理の手伝いもしてくれる。
それだけじゃない。私が女だからってけなされたり、危ない目にあったときは身を呈してまで私を守ってくれた。
きっと、私一人じゃやってこれなかっただろう。刹那だって、色々と辛いのに。
「それに」
ふいに、後ろからぎゅっと抱き締められた。
びっくりして、小さな悲鳴が声からもれる。
「こうやって、スイと二人きりになるのも悪くない」
刹那の頭が、私の肩にとんと置かれた。甘えるように、ぐりぐりと頭を擦り付けられる。
首筋に刹那の唇が触れた。ぞくりと全身に電流が走る。刹那の唇は、まるで味わうように、私の首をいったり来たりした。そのたびに、私のからだを甘い衝撃が襲った。
彼のふわふわな髪が、時々口や鼻に当たってくすぐったい。
油臭いよ、って言ったけど、構わないってもっと強く抱き締められた。
「ひゃ!?」
刹那の手が下から私の胸を揉み上げて、びくりとからだが反応した。
広く薄暗い格納庫のなかで、二人きり。
優しく触れていただけの手は、次第に激しく胸を揉んでいく。逃げようにも後ろから強く抱き締められていて逃げられない。
まさか、このまま……?
「ちょ、刹那! ばかやめて……」
「おい新入りィ! 新入りのガキはどこだ!!」
「ちょぅりーっす!!」
ハエダ(一軍リーダーのすぐ殺されたちょび髭)が声を張り上げながら格納庫にやって来た。やばい、MS見つかる! って一瞬パニックになってたら、いつのまにか刹那がいなくなってた。
一体どこに? と思ったら上手いことハエダに近づいて(近すぎ)MSに意識が行かないようにしていた。
いつものクールな刹那からは想像がつかないほど、満面の笑みが浮かんでいる。
……笑みっていうか、にやけ顔に近いっていうか。……うん。なんか腹立つあの顔。舐めてる顔だあれ。色々と。
「MWの部品が切れた! てめえが買いに行ってこい!」
「了解でちょりーっす! 早速買い物に行くでちょりっすりーっす」
「……」
ハエダは、刹那のちょりっすを見てさっきの若干キレ気味の態度から一変、なんとも言えない微妙な顔をした。
「……お前のその、ちょりっすとハイテンションはどうにかならんのか」
「ええ? だってこれ俺のアイデンティティっていうかあ、ちょりーっすじゃないと俺は俺じゃないっていうかあ」
「……まあ、仕事に支障がないならそれでいい。さっさとしろよ!」
「お疲れさまでちょりーっす!」
ちょっとだけ元に戻ったハエダが出ていく姿を、刹那はケツをつきだして敬礼しながら見送った。
あの息を吐くように子供に暴力を振るうハエダも諦めるほどとか、刹那どんだけ。
「……ねえ刹那」
「なんだ」
声をかけると、いつもの刹那に戻っていた。
「なんで疑似人格タイプR‐35なの?」
刹那は、さも当然かのように、済ました表情で答えた。
「決まっている。このほうが警戒されないからだ」
確かに警戒されないだろうが、別の意味で警戒されまくりだ。
そう言おうと思ったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。